帰ってきたブログ生活(2nd)

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重いコートは脱ぎ捨てなければ

お盆休みに会う予定を立てたがあちらが感染してしまったのでナシになってしまった友人と先日食事に行った。無事にリベンジを果たせたし良い時間だった。

友人と会うディナーの前に片道徒歩35分ほどかけて買い物に行く。こんなに歩くのは初めてではないし周りに驚かれるが歩きたい気分だったからどうということはない。
急に寒くなったからマフラーと手袋を出してコートを着る
…このコートってオシャレ重視であんまり暖かくないな。結構厚着した上に着てるから腕周りがキツくて血が止まりそうだ。
たった1回スタイリッシュに着こなせなかっただけでコートとの別れのときを感じながら待ち合わせ場所に向かう。


5年ぶりに会う友人を見つけられるか不安だったが、「あなたのお母さんと似てる人がいたから」とちょっと意味不明な理由で向こうから見つけてもらった。笑

ここに来るまで実はちょっと緊張していた。
5年は人を変えるに充分な時間だ。まして命を脅かしたパンデミックを経ているからショックやパニックで人が変わることだってあり得る。そういうのSNSでいっぱい見て縁を切ったり切られたりしたから久しぶりに会う人がちょっと怖かった。
昔の友人はとにかく姿勢が悪くて待ち合わせ場所でとにかく姿勢の悪い子を探そうとしたけど、私の方に歩みよってきた友人は見違えるほど綺麗な姿勢で驚いた。
友人が5年で変わったところは姿勢が良くなったことだけで、疑って申し訳なくなった。

根本は変わっていないので今プレイしてるゲームの話から、5年の間にあったあの時つらかったことを互いに暴露し答え合わせをすることで当時の自分を成仏させるふたりきりの供養会まで終始穏やかで温かく優しい時間だった。楽しい集まりなら最近はあったけど、当時の嫌な記憶をネット越しではなく直接言葉で話して受け止めてもらえた安心感が私はとにかく嬉しかった。

友人が今読んでいる本の話をしてくれた。
思考も持ち物も感情も最小限でシンプルにする生き方を教えてくれるものらしい。そこで物って大切そうに見えて案外手放しても困らないよねって話題になった。
先日ささっとアニメグッズを手放し、休日は引き続き断捨離を進めている私にはとても共感できるし自分のしていることは間違ってないと思えた。
ミニマリストとか物を捨てて身軽になる生き方を肯定する世間の流れがちょっと苦手というか懐疑的であまり触れないように生きてきた。それは「役に立たない無駄なものは排除する」風潮が息苦しかったからだと断捨離を始めて気づく。無駄かどうかを決めるのは自分だし手放すタイミングも私が決めるから放っておいてほしかったのだ。

今日着ているオシャレ重視のコートが重いばかりでちっとも暖かくないし肩が凝るからもういらないのかもと初めて思えた。
5年ほど前の私は情緒不安定からくる買い物依存症で月6万は服に使っていた。私はオシャレに目覚めたんだ!と当時思っていたけど今思うとあれはただの買い物依存症だった。羽振りのいい客にニコニコ接してくれるのは商売の常識なのに、ショップ店員と仲がいいって本気で思っていた。気持ちの余裕もお金もなくなって自分の異常さに気付いて以来店には行かなくなった。おかげさまで新品の服なんてもう何年も買っていない。

そのコートも紛れもなく依存症だったころにノリで買ったものだ。
服はいくらあっても困らないから捨てる必要はないと思っていたけど、苦しい時に買った物たちが私にとって負の産物になっているかもしれない。
これでも随分手放したがとにかく服がいっぱいある。所持している服すべてを把握しきれていないし、何年も陽の目を浴びていない服がハンガーに掛かってたりする。
…必要なものだと今日まで大事にとっておいたけど、ついに手放すときかもしれない。非常に前向きに捉えられている今がチャンスだ。

ディナーで食べた玉子焼き。冷めても美味しかった。

今日はお休みで別の友人と出かけるので手放すか迷っているメイク用品や服を身にまとって家を出た。もちろん上記のコートも着ている。
ほとんどの物がもう私に必要ないと実感できたので手放す決心がついた。
コートは厚着をした上から着なければ肩は凝らないことが分かったが、それにしたって私はコートを持ちすぎだと思う。モデルでもないのに10着は持ってる。このコートもういらないかなとぼやいたら母が着たそうにしているので押しつける形で譲ろうかな。笑
…メルカリ以外で衣類の売却するならやっぱり古着屋に持ち込みが妥当かな