帰ってきたブログ生活(2nd)

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5年前の記事を振り返る

xixnxgx.hatenablog.com
はてなさんから5年前の記事ですってメールがきたのでこれを機に昔の自分を振り返ってみよう。

上の記事は異動先で嫌がらせを受けるし相次ぐ心身の不良の中、毎日がつらくて次の職場も決めずに新卒で入った会社を行き当たりばったりで退職した。各生活費の他にも通院や薬代でお金のことが心配だっていうだいぶヘビーな内容だ。

これを書いたときの心境をすごくよく覚えてて、苦しくて仕事を辞めた私に誰も味方がいなかったってハッキリ言える。メンタル的にも婦人科的にもずっと具合が悪いのに「ゆっくり休んで」って誰も言ってくれなかった。仕事がつらくて逃げたダメな奴って目で見られてたと思う。涙を流しながらこの記事を書いたのも覚えている。
というか今振り返るとつらいから逃げて何が悪いの?運がよかったから生きてるけど下手したらわたし自殺してたんだけど?って胸ぐら掴んで牙を剥けてやりたい気分だ。

それにしてもすごく自分のことを責めているね…
社会規範が絶対で正しいと信じていたから正社員を辞めた自分はもうダメだって本気で思っていた。体調が戻るまでゆっくり休むべきだったのにひとりで就活してどんどん追い詰められていった。たった3か月の無職期間が苦しくて早く働かなくてはと適当な会社の正社員で内定を貰ったけど、ひどい経営体制と長時間労働で元々悪かった体調はあっという間に悪化し僅か2か月で退職した。
1年間心身の調子が悪いまま25歳が終わった。
2018年以降ブログの更新が止まっているのは仕事も満足に続けられない自分のことを恥ずかしくて価値のない人間だと本気で思っていたからだ。同世代と比べたら自分があまりにも惨めで、社会と自分が完全に切り離された気がしてブログどころかSNSでも何もつぶやけずありとあらゆる発信を止めた。

5年前の自分に新卒で入った会社を辞めたことをどうか責めないでほしいと両肩を持って声を大にして伝えたい。

25歳の自分は本当に厄介というかヤバイ人間だった。
買い物依存症で常にお金がなかった。自分の中にポリシーとか自分なりの考えとか何にもなくて、あるのは他人の顔色やご機嫌と社会の規範だけだった。
上記で誰も休めと言ってくれなかったと書いたが私が退職してから会った同業他社で働く大学の友人たちに「今は休んだほうがいい」と言われたことがある。有り難かったが内心ではそうは言ってもお金がないし働かないとダメだろうと友人の話を受け入れなかった。体調が悪いからしばらく休みたいと家族や主治医に今後の相談をしなかったのも自分だ。周りの大切な人よりもこうあるべきの社会規範をとったのだ。

困っていることや自分の体調不良を人に説明するとか、相手と自分の条件を擦り合わせる相談みたいな人との話し合いが当時全く出来なかった。自分の言葉で自分のことが説明できないから、周りの人が私の異変を察して気にかけてほしいと思っていた。あまりにも他力本願でこんな奴と関わりたくない。ほんの5年前の自分なんだけどね。

自分の中に自分がいないなんて今思うとゾッとする。こんな人間だったのによくここまで「自分」を育てられたなーって感動してしまうな。もう誰にも「自分」を踏み荒らされたくない。好きなものは分かるけど自分は何が嫌で何に怒りを覚えるのかやっと分かるようになったのは本当にここ最近のことです。明らかに今の自分のほうが幸福度は高いし5年前の私とはもはや別人。金銭的に諦めたこともたくさんあるけど…

5年前に死ぬほどすがっていた社会規範と他人の目を手放してるけど別に死なないし私はダメな奴じゃない。現代じゃむしろ社会規範が時代に合ってなくて揺らいできてるよね。
正解を決めるのは社会規範じゃなくて自分の時代になってきてる。

CSとかで再放送される5年前のドラマを見てると時代錯誤でウゲッとなるような描写が多い。女性は人間じゃなくて男性を喜ばせる華で、未婚女性とか肥満体系などな体の特徴など特定の属性は笑い者にしていいって根性が滲み出てるから見ててしんどい。
すべてのテレビドラマを見てるわけではないから一概には言えないけど、立場的に弱い人たちを助ける・権力を持つ者に抗うようなドラマが増えた気がする。特定の属性を小馬鹿にするような描写も明らかに少なくなった。たった5年でこんなに変わるんだね。

これからも常識や価値観を日々アップデートして想像力を働かせて自分の幸福度を大切に生きていきたいですね。