帰ってきたブログ生活(2nd)

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気が利くと顔色を伺うは別物

私はよく、気が利く人だと言われる。これは自分でもそう思う。
その発端は高校時代の部活動だ。目上の者、他所から来た人に気を遣え気を回せがクソッタレ顧問の口癖だった。目上の人間が動いたらドアを開けたり荷物を持ったり…ボーッと突っ立ってようものなら罵声が飛んでくるので部員同士で仕事を奪い合うような部内環境だった。何をしたらいいか聞いても教えてくれないので先輩の行動を見て覚えるしかない。地獄か?
今振り返るとあれは顧問の指導というより調教だと思っている。自分に逆らわないように、よく働く便利な奴隷になるように。周りを召し使い(未成年の高校生)で固める可哀想な人だった。
上級生によるパワハラで1年経たずに退部したから部活に何一ついい思い出はない。部活どころか入った高校自体大嫌いで人生でなかったことにしたい・やり直したい嫌な3年間だった。

1年もいなかった部活で受けた指導は今でも私の中に残っている。
自分より若い世代にはこんな指導されなくていい。他人のためにあれこれ動ける人より自分のことは自分でやる、できないことはちゃんと他人に頼れる人のほうが私は魅力的だと感じる。
前にネットで「会社の後輩がフードコートでお冷やを自分の分しか持ってこなかった」と怒りのツイートを目撃したが、後輩が持ってきたお冷やは安全で何も入ってないとなぜ信用できるのか?と言いたい。
そもそもとっくに学生生活を終えてるにも関わらず部活のノリをそのまま持ち出すのは大人としてどうなんだ。

それはさておき気が利くと言えば聞こえはいいが、現実は感謝もされず ずる賢い奴にいいようにこき使われ、してもらって当たり前の態度をとられるだけだった。
普段の生活でも他に通る人の邪魔になるから歩道の真ん中を歩かない、お店で商品を手に取ったり後ろを通りたい人がいるかもしれないからいつも棚と体が平行になるように買い物をする。これはもう気が利くとかそういう次元ではなく他人が怖いだけの人である。
「気が利く」は使いどころを間違えれば他人に振り回される。そしてよく知りもしないすれ違う万人のことを考えて行動するとめちゃくちゃ疲れる。はっきり言っていらん労力である。

これは私にかけられた呪いだとずっと恨んでいた。私はこんな人間になりたくなかった!何にも気づかずボーッと座って、周りの人間のことなんか気にもせず道の真ん中で突っ立っている人のほうがどんなに楽なことか。気なんか利かないほうが得に決まっている。私だって無償で何もせずとも他人が身の回りを整えてくれるのを経験したいし私みたいな人が周りにいてほしい
何も気づかない人間になりたかった。

本日の仕事中のこと。
我らのリーダーが店頭に◯◯と△△がないと話してるのが聞こえ、別に自分は指名されてないが今日中に誰かが◯◯を作ることになるだろうからちょっと手間のかかるところにある商品をすぐ手に届く位置に用意しておいた。そんな準備に5分もかからないので御安い御用だ。
その15分後くらいに指名された人が商品を探してたのでテーブルに置いときましたと伝えたらえらい感動されてしまった。優しい!すごい!欲しいものを出してくれるドラえもんみたい!と大絶賛された。たかが取りやすいところに置いただけなのにこっちがびっくりしてしまった。ドラえもんみたいってなに笑
そのやりとりを見た我らのリーダーに人のために動けるなんて誰にでもできることではないよとありがたいお褒めの言葉をいただけて、自分が受けた指導は呪いだと恨んでいた自分が救われた瞬間でございました。ちゃんと感謝されたの久しぶりだし、なんか褒められたのでとても嬉しい。ハッピー

気を利かせるのと他人の顔色を伺うのは違うんだと今日の出来事でやっと気づけました。
しかしこれは私の力であってあの部活も顧問も部員も全部大ッッ嫌いなのは変わらないけどね!!!おととい来やがれ!!!