帰ってきたブログ生活(2nd)

昔→PMDD闘病記 今→書きたいこと何でも書く雑記ブログ

そしてこれからも生きていく

2022年にお別れを。


思えば就学前から横暴で支配的で私を見下す君がずっと怖かった。幼少期からすでに人の顔色を伺わせるようにした君の態度は私の人格形成に確実に悪い影響を与えた。振り返ると私が好きなものはバカにして見下す君と私が対等な関係だと思えたことは一度もない。君がソーシャルメディアで私がコンサートに行った日のブログに対して小馬鹿にしたツイートをしたのも見た。何も知らないとでも思ったか?それでも関係の切り方が分からなくて直接顔を合わす機会は減ってもSNSで互いを監視し、直接顔の見えないSNSですら私は顔色を伺っていた。私の最近好きなものを知られたくなくて、知られてまたバカにされるのが嫌で主語をぼかしてツイートした。だんだん君が見かけたら即ブロックするような嫌な人間になっていくのが見ていられず2年前にミュートした。それでも自分から関係を切れなかった。モラハラ彼氏に支配され洗脳された彼女のように、自分から関係を切る選択肢が自分の中にあるとは到底思えなかったからだ。いつしか君のアカウントは突然私のFF欄から消えた。突然私を無視しはじめた9歳の頃から君は全く変わっていない。長い付き合いでありながら私たちは自分の胸の内をぶつけ合う喧嘩を一度もしなかった。君は私が自分の意見を持つのを気に入らない、君も君で私をうざいと感じたのだろうがそんなのはお互い様だ。学生時代君に迷惑をかけたことは今でも反省している。しかしもうこれきりだ。ようやく私は長い長い支配から解放され肩の荷が下りた。今後私の前に二度と顔を出すことなく私の知らない場所で勝手に生きて勝手に死んでくれたら幸いだ。

ずっと辞めたかったが行動に移せずダラダラと2年続けた仕事もまた雲隠れするような辞め方をした。誰にも大事にされず自分も大事にできず安価で大量生産の商品はまるでいつでも誰でも替えのきくどこにでもいる自分のようでゴミのように扱った。客とも呼びたくない死神のような輩とは何度も揉めその度に面談をされた。誰が相手でも私は自分をバカにされるのが我慢ならない。医者を自宅に呼び出し散弾銃で射殺する恐ろしいニュースがあったが、それを見て撃ってやりたいのはこっち側だよと憤りを感じた。客や利用者という絶対に安全な立場に胡座をかいて怒鳴れば自分の思い通りにできると思っている、人を人とも思わない輩が日本には本当に増えた、別に昨日今日の問題ではないが特にこの2年で嫌になるほど目の当たりにした。早く野生の熊にも同じ事をしてほしい。
たまにしか店に顔を出さないくせに偉そうにしている奴なんて心底どうでもよかった、人としての尊厳を踏みにじられ続けた私にはもうすべてがどうでもよかった。本当に危ないメンタルをしていたので警察沙汰になる前にどうにか辞められたのが救いだった。知りもしない赤の他人の接客なんか二度とごめんだ。もちろんお客様との楽しい思い出や感謝され嬉しかったことたくさんある、そんな美しい思い出も輩の存在ひとつで消えるのだ。手順を全て吹っ飛ばした辞め方をしたが何人かから労いのメッセージをいただいた。複雑だが少し嬉しかった。同じ時間に愚痴をこぼし合って働いていた人たちからは何の連絡もこなかった。

金はなく次の仕事も決まってなかったが、しばらく働く気になれなかった。金なし無職になったのは初めてではないためどうにかなると楽観的だった。金なし無職を経験するたびに人は強くなる

今年新たに推しができた。この人いいなと思っていたときに、まもなくバースデーイベントのチケット一般販売が始まろうとしていた。しかし同じ現実に生きる人間のファンをやるのは楽しいこともあればつらくしんどい時もある。それを経験してしまったので金をつぎ込むことでしか応援できない生きた人間のファンなんて正直もう懲り懲りだった。業界では超売れっ子の人気者で、ファンになってもそのうち疲れてしまうのが目に見えている、そんな人を好きだという気持ちすら認めたくなかった。しかし自分の気持ちに素直になったらイベントに行くしか答えはなかった。
再び生きた人間のファンをやる覚悟を決めイベントの5日前にEPを入手して慌てて予習をした。曲の歌詞が今の私を象徴しているようで、私の代わりに気持ちを言葉にしてくれているようで文字通り枕を濡らしながら何度も聴いた。「運命の出会い」がこの世に本当にあるとするならばこの曲たちとのことだと思った。明るさに全振りしたわけではなく、どんなにダサくてもそのままで生きることを肯定してくれる曲でとても心地よかった。
決して安くはない金額をチケットに変え何度訪れても慣れないうちに街並みが変わっていく渋谷へ向かう内心はとてもわくわくして仕方なかった。ファン仲間はもう作らないと決めていたのでひとりで行った。誰と競争しているわけでもないが、名前だけずっと前から知っているだけのにわかに分類されてしまうので開演まで大人しく過ごした。イベントはとても和気あいあいと楽しく進み微笑ましく見ていた。推しは夏に感染してしまったが元気そうな姿を見れてホッとした。やがて歌のコーナーになり推しがステージで初めて歌う。まるで私の気持ちを歌っているかのような曲のイントロが流れると涙が止まらなかった。運命の出会いを果たした曲をステージに立つ本人の生歌で聴けるなんてなんてタイミングが良いんだろう。私の決断は正しかったのだ。
イベントの前に本*1で読んだ「働くと愛する」の「愛する」とは、好きなものから元気をもらい心を豊かにし明日の生きる糧とするまさにこのことなのだと実感した。数か月前さんざんな目にあいボロボロになった私に推しはきらきらとした生きる活力を歌で注いでくれた。私も推しのようにきらきらとしたくなった。それはインスタでおしゃれな写真をアップするとか芸能活動をしてステージに立つ人間になる類ではなく、ただ自分をもっと大事にしてあげたい、自分の人生を他人に支配させずこれからちゃんと生きたいといった決意のようなものだった。
まるで今日で推しが芸能活動を引退するファンのような顔で会場を後にしたが、今も元気に活動されている。私は推しが体型や髪色髪型が変わろうがタトゥーを入れようが法に触れず誠実で元気に生きてくれればそれで充分だ、同じ現実を生きるひとりの人間なのだから。
想像以上の感動のあまり推しに感謝の手紙を書いて送りたくなったが、頭の中がごちゃごちゃして上手くまとめられずお蔵入りにした。その一部をこうしてブログに書くことで昇華できて満足している。

イベントで推しから活力をもらった私は早速条件の良い求人に応募するところまで行ったが、既に他の人で採用が決まっておりこの話は流れた。なんでもそんなにとんとん拍子で上手くはいかないものだが出鼻をくじかれた気分だった。

推しからもらったきらきらは一時私の中から消えることとなる。
慣れないイベント会場にて巨大なスピーカーが近くにある席に2時間も座っていると具合が悪くなった。気が小さいのでステージに人がいて話してる最中に席を移動する勇気がなかった。イベント運営にスピーカーの配置について何か意見を言う気にはなれず慣れないイベントに参加したのが悪いと自分を責めた。日常生活が一気に困難となり耳鼻科へかかると聴力の低下は見られないため聴覚過敏と診断が下された。仕事をしていなくてよかったと安堵してしまったがこれが泥沼の引きこもり状態のはじまりだった。
ビニールや紙をぐしゃぐしゃに丸める音、食器や金属同士がぶつかる音、近年あちこちにひっぱりだこな救急車のサイレン、お店のBGMなど、世のすべての音が私をすり減らした。安い耳栓の上からヘッドフォンで蓋をしているとだんだんと外出する意欲もなくなる。耳の穴を塞ぎ尚且つ大きな音が怖いからか自分の声も一段と小さくなり会話もスムーズにできず人と話すのも億劫になった、この状態で新しい仕事ができるとは到底思えなくて疲れやすくなった体を横にしてただ布団の上で天井を見つめる日々に世界から取り残されたような感覚になった。耳が痛いので運命の出会いをした音楽も聴けなくなり孤独を感じた。
こんな時に見なければいいのにLINEの友達欄を見ると大学時代の友人の苗字が変わっていたので削除する、こんなに友達少なかったかと悲しくなった。こんなボロボロの状態でも会ってくれる大事な友人と楽しく遊んだ帰りの電車内ではこの友人にも突然関係を切られたらどうしようと今まで感じたことのない恐怖と孤独感に襲われ、スマホで「友達が少ない」と何度も検索した。その中でおすすめされていた書籍を図書館で借りたが、私の求める答えはなかった。
聴覚過敏になってひとつだけ良かったことは睡眠導入剤を飲まなくてもすぐ眠れるようになったことだ。あと耳栓をした状態で炭酸飲料を口にすると泡のしゅわしゅわする音がしっかり聞こえるのがちょっと面白かった。

仕事もなくただ横になっているだけの生活は時間が余って仕方がないのでたまに読書をしてはほとんどをインターネットで暇をつぶした。
多くの人の目に留まり話題にしてもらうにはSNSはこれ以上ないほどの便利なツールだが、そうでない使い方をしたのでメンタルがやられてしまった。そもそもHSPの私にとって無法地帯となり知らない他人の怒りや悪意、特定の属性への心無い言葉やヘイトがバンバン流れてくるSNSは向いていなかったのだ。ただでさえ現実世界の人間関係を築くのに精いっぱいで他人のちょっとした言動に悩んでしまう性質なのに、インターネット上でも悩まされるなんて生き苦しさを加速させるだけだともっと早く気づけばよかった。ネット上で他人の悪意に晒され続けるとあっという間に人間不信に陥る。たまに外出するとすべての人が自分に悪意を持っているのではと怖くなり、犬の散歩中に話しかけてくる人間すらも恐れた。何を話してどんなリアクションが適切か分からなくて口下手になり、会話が苦手になった。人間が嫌いになった。あっという間に匿名インターネットの憎悪に呑まれた私は長いこと私を支配した挙げ句私のことを悪者にして消えていなくなりやがった人間を具合が悪くなるまで恨んだ、多分生霊を飛ばせたかもしれない。縁切り神社に行こうと経路を調べたが実行することなく終わった。冒頭で全く未練がなく終われたかのような書き方をしたが実際はお前は何様のつもりなんだと許せなかった。
一日も早くTwitterがサービス終了しこの世から消えることを切に願っている。あの金だけ無駄に持っている馬鹿代表が変わろうが正しい倫理観やモラルのもと運営されようが今までのように利用するつもりは毛頭ない、*2
私はTwitterが憎い。

聴覚過敏はこれ以上耳鼻科に通っても良くならないと感じ、メンタルヘルスの主治医に相談して処方されたニコチン酸アミドのおかげでかなり楽になった。今では耳栓もヘッドフォンも使わずに生活できているが、外出中にサイレンの音が聞こえると慌ててコンビニの中に隠れてやり過ごしている。
体調も落ち着き憎きSNSの使い方を改めた11月ごろ再びスマホで求人を探した、とりあえず年末だけ働けばいいかと見つけた短期求人の仕事内容は顧客対応をしながらのデータ入力だ。応募に必要な個人情報をすべて入力し応募ボタンを押すかどうか悩んだところでスマホの電源を切る。懲りずにまた接客をやろうとしている自分が嫌になり仕事探しを一旦止めた。

こんな生活から早く抜け出したくて数日後またスマホで仕事を探す。ある求人を見て今度は迷うことなく応募した。とんとん拍子に話が進みどうにか引きこもり状態から脱出できた。商品を袋に詰める業務は黙々と作業をするのが好きな私には合っている、何より接客はしないので知りもしない赤の他人に感情を乱されることなく穏やかに働けている。相変わらず非正規で貧困だがやっと自分にあった仕事につけた気がした。職場にいる様々な年代の方は皆とても優しくて機嫌が悪いからと職場に負のオーラをばら撒くような人はいなかった。
日本の労働環境は問題が山積みで挙げるときりがないが、労働している間は仕事に集中し余計なことを考えなくて済むのが唯一の良いところだ。具合が悪くなるまで他人を恨んでいたなんて馬鹿らしく思えた。友達が少なくて悩んだり孤独に襲われる暇もなくなった。友達を数で見て多ければ安心し少なければ嘆くよりも、今も会ってくれる友人を大事にしたい。

新しい仕事を始めて2週間で前職の2年間は無駄だったことが証明されてしまった。無駄にした2年を思うとどうしてもっと早く行動できなかったんだと責めたくなるが、きっと誰にでもそういう時間はあるだろう。過ぎた時間を悔やむよりもむしろこれからの自分を大切にしたいと思った。自分で決断したことが上手くいくと自信になり自尊心が高まっていく。求人を見つけて引きこもり状態を脱したのはたまたま運がよかっただけに過ぎないだが、すぐに応募した自分を褒めてあげたい。シフト的に仕事納めとかではなく人生で初めてまとまった年末年始の休みをもらえた。

上手くいかず先の見えない人生に悲観的になってしまったがよく巻き返せたと思う。正しい手順ではないが辞めたかったものや離れたかった人すべてと繋がりを断てたことは本当に喜ばしい。
来年は嫌でも人生の節目となるだろうが、他人と自分を比べることなくこれからも変わらず自分を大切に生きていきたい。

*1:東畑開人著/なんでも見つかる夜に、こころだけが見つからない

*2:正確に言うとTwitterを辞めていない。複数持っていたアカウントをひとつだけ残して削除し、会っていない友人や一般人のフォローをすべて解除しトレンドも確認せず好きな企業と芸能人だけをフォローして自分の見たい情報だけをチェックしている、今後誰かと交流したり流行りのコンテンツをチェックするつもりはないので辞めたと言うことにした