帰ってきたブログ生活(2nd)

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「ルポ 貧困女子」を読んで

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正直読まなければよかった、上手いこと誤魔化しながら生きてきたのにこれを読んだことで掘り起こされてしまい頭の中がずっとごちゃごちゃして頭痛がするので読了したこの本の助けを借りながら自分の考えをしたためる。

はじめに断っておくが、結婚願望のある女性や結婚し家庭に入った/入りたい女性を攻撃する意図はありません。


寝る前に数ページ読んだらしおりを挟んで寝るつもりが途中で止めるに止められず、夜中までかかって一気に読み終えてしまった。
この本のインタビューに出てくる女性たちと同じで私も貧困だからだ。まだアラフォーではないと高を括っているうちにそのうち私もインタビュー当時の女性たちの年齢をすぐ追いつき追い越してしまうのだろう。とても他人事と思えず途中で読むのを止められなかった。
この本に出てくる何人かの女性と同じように、私は実家を頼って生きている。金銭面的にとても実家を出て生きていけるとは思えない。少ないお金を家に入れ、金額を埋めるように家事をこなす。病院代と薬代が毎月かかる。家族と暮らしていて些細なことにムカついたりするが、私はとても環境に恵まれている。
本に出てくる女性たちの中には不景気で仕事が上手くいかなくなった両親から暴力を受けた人、過干渉に耐えられず命かながら実家を飛び出した人、学生時代いじめにあったことで中退し引きこもり生活が続いて社会と繋がりが持てない人がいる。壮絶だった。私もタイミングひとつ悪かったら暴力を受けていたかもしれない、私が今日まで生きていられるのはただ運がよかっただけだ。数年前ホームレス女性が渋谷のバス停付近で男性に撲殺される痛ましい事件があったが、あの事件もこれに通じているのではないか。
日本人女性は常に男性の扶養に入り養われる存在として女性の貧困はなかったことにされていた。ましてや実家暮らしの貧困シングル女性は家事手伝いや嫁入り前の修行(今この言葉って使われてるんだろうか)と見なされ貧困層にも入れてもらえなかった事実がある。

この本では日本の家族の在り方が困難に直面している点に触れている。

「いい年して嫁にも行かず、実家にいて恥ずかしい」と感じる人もいる。しかしこれもまた日本人特有の家族包摂ルール、つまり子ども時代は父親に、ある年齢に達したら夫に包摂されるべきという「男性稼ぎ主モデル」に基づいたルールにがんじがらめにされているだけではないだろうか(終章 一筋の光を求めて p214 11行目)

結婚前の女性は父親に、結婚した女性は夫に、夫と死別した女性は息子に頼るべきという「男性稼ぎ主モデル」は、終身雇用制の崩壊や非正規雇用の増大によってもはや風前の灯である。(終章 一筋の光を求めてp216 5行目)

常に誰かに養われる前提の存在、日本人女性の人生はそれでいいのか。
夫とされる人が外で働きお金を稼ぎ、妻とされる人が家のすべてを担う日本の家族の在り方は非正規雇用の増加や賃金の低下で時代錯誤になってきている。結婚率が下がっていることから分かるように自分が生きていくので精一杯だ。
結婚し家庭を持てば大黒柱/世帯主とされてしまう男性にもこの家族の在り方はつらいものがある。世帯ではなく個人として見ていく必要があるのではないか。

ここで少し私の話をする
私は子どものころから結婚願望がない。「結婚しても即別居したい」などと新卒時の上司に言ったのをよく覚えている。代理出産をして謝礼金をたんまり貰いたいと考えたことがあるが、出産を経験したくない。そもそも私は子作りするためにまず手術する必要があるのだがこのことは両親も誰も知らない。手術をしてまで自分の子どもが欲しいとは思わない。
世の日本人女性は「家族を愛する女」か「仕事を愛する女」の二択を迫られているように感じる。私は家族も仕事も愛していない。最低限働いてただ生きていければそれでいい。毎月宇宙旅行をしたいとは言っていない。どちらにも当てはまらない私は奇妙で世間からいないことにされる存在なのだろう。それは女性向け転職サイトを使おうとアクセスしたとき強く感じた。時短勤務や小さな子どものいる人のための融通のきくお仕事など結婚出産をしている女性を前提としていてどちらも経験しない女は女じゃないのか?と嫌な気分になった。

高収入で健康体でない人がこのような話をすると努力が足りないだの、自己責任と無責任でバカの一つ覚えの言葉で片付けられまともに聞いてもらえないと思っている。資格を取って専門職に就けばいいと一見もっともらしい解決策だと思って安易に口にする人もいるが、それは根本の解決にはならない。人間みな医者や弁護士になったら世の中は回らないのである。誰でもなれる簡単なエッセンシャルワークがいつまでも労働環境の悪い低賃金重労働ではいずれ誰もやらなくなる。最初の緊急事態宣言で商業施設や飲食店が軒並み休業となり小売店にたくさんの人が買い物という娯楽を求めて押し掛けてきたのを私達は肌で実感したはずだ。
別に私は毎月宇宙旅行がしたいと言っているのではない。ただ将来の不安を感じることも病院にかかるお金の心配をせず不自由なく暮らしたいだけだ。全身をハイブランドで固めたり毎月宇宙旅行がしたいと言っているのではない。
結婚も出産もしていない非正規で通院が必要な収入の低い貧困女性がひとりで不自由なく暮らせるだけの賃金をくれと主張をするのはとても勇気がいる。
たまたま生殖でき腹の中で命を育てる機能の持った臓器を持っているだけでプレッシャーに晒されなくてはならないなんて、何て面倒な生き物に生まれてしまったのだろう。機能が最初からない/途中でなくなった人もきっとつらい思いをしているのかな。

経験上私は正社員が安定した雇用形態だと思っていない。正社員と言えども欠勤すれば給与は減るし、心身を壊せば容赦なく会社から切られる。健康体でない人にとってこの世に安定した仕事などない。
数年前の私が「体を壊すまで働くしかないのだろうか」と書いている。これは今でも解決していない。
正社員という響きだけは安定している肩書きで体を壊すまで働くのか、非正規またはそれ以外の雇用形態で心身の健康を守りながらギリギリの収入で働くのか。正解のない選択が苦しくて誰に対してでもなく「私が死ねばそれで満足か!?」と叫びたくなることがある。どんな選択をして自分を納得させても社会の規範が心を乱してくる。いつまでこの葛藤と闘えばいいのだろうか。

その不安や葛藤が結婚や出産さえすれば綺麗さっぱりと消えるようにはとても思えない。